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シブセイ閉店の衝撃

百貨店の閉店のニュース自体は珍しくありませんが、西武渋谷店の閉店はショッキングでした。単なる百貨店ではなく、日本の小売業の歴史、ファッションやカルチャーの歴史に大きな足跡を残した百貨店です。ある意味では、一番店である西武池袋本店以上の存在感を放ってきました。

渋谷から西武は退場しますが、ロフト館の「ロフト」、モヴィーダ館の「無印良品」は営業を継続します。かつて西武百貨店、パルコ、無印良品、ロフトは同じセゾングループでした。このことを知らない世代の方が今は多いかもしれませんね。

「WWDJAPAN」副編集長
林 芳樹
NEWS 01

「西武渋谷店」が閉店へ セゾン文化で一時代築く

そごう・西武は25日、西武渋谷店の営業を終了すると発表した。閉店日は9月30日を予定する。出店エリアの再開発に伴うもので、地権者の意向で撤退を決めた。同店は1968年4月に渋谷駅前にオープンし、その後のセゾングループによる渋谷の街づくりの起点になった。渋谷では再開発によって20年に東急東横店、23年に東急本店が閉まっており、西武渋谷店の撤退によって渋谷から百貨店はなくなる。

西武渋谷店はA館、B館、パーキング館(駐車場兼店舗)の3館で構成される。百貨店とは別に専門店館として「ロフト」が入るロフト館、「無印良品」が入るモヴィーダ館がビル名に「西武」の屋号をつけて営業する。

閉店の対象になるのはA館、B館、パーキング館で、3館の店舗面積合計は約3万2000平方メートル。地権者はA館とパーキング館が松竹映画劇場、B館が国際。西武の進出前は渋谷松竹、渋谷国際という映画館だった。

地権者の2社とそごう・西武は、20年近くにわたって再開発の方向性ついて話し合いを重ねてきた。2024年7月に地権者からそごう・西武に再開発計画について通知があり、翌25年8月には「26年9月1日から工事に入る予定」と伝えられた。そごう・西武は存続を模索してきたが、西武池袋本店の大規模改装など大型プロジェクトに目処がついたこともあり、収益性も鑑みて撤退を決断した。

ロフト館とモヴィーダ館は、そごう・西武が土地・建物を保有する。こちらは西武の屋号を外した上で営業を継続する。

西武渋谷店の業績ピークだった1990年には、A館、B館、パーキング館、ロフト館、シード館(現モヴィーダ館)の5館で売上高(取扱高)967億円を誇っていた。直近の2025年度は5館で400億円だった。近年はA館、B館、パーキング館の収支で20億〜30億円の赤字が続いていた。渋谷店の本社員96人、契約社員134人の計230人は雇用を継続し、社内で配置転換を行う。

西武渋谷店は渋谷が「若者の街」「ファッションの街」と呼ばれるにあたり、先導的な役割を果たした。

特にファッションにおいては一時代を作ってきた。1970年代に編集売り場「カプセル」を通じて、三宅一生、山本寛斎、川久保玲、菊池武夫といった当時の若手デザイナーが飛躍するきっかけを作ったことは語り草だ。西武百貨店が国内販売を担っていた「イヴ・サンローラン(YVES SAINT-LAURENT)」「エルメス(HERMES)」「ジョルジオ アルマーニ(GIORGIO ARMANI)」といったブランドもいち早く成功に導いた。ファッションブランドやクリエイターたちのインキュベーション(孵化)の場であり、サロンでもあった。

西武渋谷店での成功を受けて、セゾングループ(当時は西武流通グループ)は渋谷パルコを73年に開業する。西武渋谷店から渋谷パルコに至る坂道(区役所通り)は「公園通り」と命名された。この一帯には雑貨店「ロフト」、ファッションビルのシード館、劇場、映画館、ライブハウス、ギャラリー、レコード店、書店などセゾングループの施設が軒を連ね、流行発信地へと発展した。

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NEWS 02

スパイバーが私的整理へ、川名氏の新会社に事業譲渡か

人工タンパク質繊維「ブリュード・プロテイン」のスパイバーが、私的整理による事業再建を行うと、スパイバーが本社を置く山形県・鶴岡の地元紙である山形新聞や日本経済新聞が報じた。孫正義ソフトバンクグループ会長兼社長の長女である川名麻耶氏が代表を務める新会社に事業を譲渡するという。スパイバーには、官民ファンドのクールジャパン機構を筆頭に、投資ファンドのカーライル、ゴールドウイン、小松マテーレ、島精機製作所などが多額の出資を行っていた。小松マテーレは昨年10月に発表した中間決算で12億円の特別損失を計上していた。他の企業も2026年3月期で損失を計上することになりそうだ。スパイバーは昨年末に約350億円もの金融負債の返済期限を迎えており、川名氏をスポンサーに迎えて再建することを発表していた。

スパイバーは慶応義塾大学発のスタートアップ企業で、当時、冨田勝教授の下でともに学んでいた関山和秀社長と菅原潤一取締役の2人で起業した。関山氏と菅原氏の2人は川名氏が代表を務める新会社の経営陣には加わらないようだ。

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