DIOR(ディオール)のコレクション一覧

DIOR(ディオール)について

■DIOR(ディオール)のはじまり

1946年、クチュールメゾンで働いていたクリスチャン・ディオール(Christian Dior)が創設。47年、初コレクションで披露した“ニュールック(New Look)”は現代でも受け継がれているブランドを象徴するスタイル。現在はオートクチュール、ウィメンズ&メンズのプレタポルテ、キッズ&ベビー、ファインジュエリー、メゾン(ホーム)、化粧品など、カテゴリーを拡大している。

■DIOR(ディオール)の歴史

1946年、クリスチャン・ディオールを創設。12月16日、モンテーニュ通り30番地の邸宅を買い取り、「ディオール」初のブティックに改装した。47年2月12日に、同店で発表したショーでは、シグニチャーとなる“ニュールック”を披露。また香水「ミス ディオール(MISS DIOR)」を発売した。48年、パルファン・クリスチャン・ディオール(PERFUME CHRISTIAN DIOR)を創設。
53年、大丸と独占契約を結び、ライセンスによる国内生産を開始(〜63年)。帝国ホテルでファッションショーを開催。63年までの10年間、親交のあったシューズデザイナー、ロジェ・ヴィヴィエ(Roger Vivier)が靴を手掛けた。56年、大丸の大阪店と東京店にディオール・サロンを開設。
57年、ムッシュ・ディオールが逝去。イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)がアーティスティック・ディレクターに就任。60年、マルク・ボアン(Marc Bohan)が後任に就く。
64年、鐘紡とライセンス契約を締結(〜97年)。70年代にかけて、婦人靴や紳士靴、毛皮製品、紳士服、ホームコレクションなど国内でのライセンスカテゴリーを拡大。68年、モエ ヘネシー(MOET HENNESSY、現LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン、LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)がパルファン・クリスチャン・ディオールを買収。
89年、ジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferre)をアーティスティック・ディレクターに任命。95年、“レディ ディオール(LADY DIOR)”を発表。96年、「ジバンシィ(GIVENCHY)」を手掛けていたジョン・ガリアーノ(John Galliano)がアーティスティック・ディレクターに就任(97年春夏オートクチュール〜2011年)。
97年、イタリアの大手眼鏡企業サフィロ(SAFILO)とライセンス契約を締結(〜2020年)。98年、銀座並木通りに旗艦店をオープン。99年、香水「ジャドール(J’ADORE)」発売。
2000年、メンズをブランド化し「ディオール オム(DIOR HOMME)」誕生。アーティスティック・ディレクターにエディ・スリマン(Hedi Slimane)が就任(〜07年)。後任にクリス・ヴァン・アッシュ(Kris Van Assche)が就く(〜18年)。
12年、約1年間デザインチームが手掛けた後、ラフ・シモンズ(Raf Simons)がアーティスティック・ディレクターに就任(12-13年秋冬オートクチュール〜16年春夏)。13年、初のプレ・フォールを発表。14年3月、メイクアップ クリエイティブ&イメージ・ディレクターにピーター・フィリップス(Peter Philips)が就任。10月、表参道ヒルズに日本初の「ディオール パフューム&ビューティ表参道ブティック」(現ハウス オブ ディオール ビューティー表参道 ブティック)をオープン。
16年、ウィメンズのアーティスティック・ディレクターにマリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)が就任(17年春夏〜)。17年4月、LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトンがクリスチャン ディオール クチュール(CHRISTIAN DIOR COUTURE)を65億ユーロ(約7735億円)で買収し、LVMH傘下に。同月、ギンザ シックス(GINZA SIX)にカフェ併設の「ハウス オブ ディオール ギンザ(HOUSE OF DIOR GINZA)」がオープン。
18年2月、ピエトロ・ベッカーリ(Pietro Beccari)フェンディ会長兼CEOがクリスチャン ディオール クチュール会長兼CEOに就任。3月、キム・ジョーンズ(Kim Jones)がメンズのアーティスティック・ディレクターに就任(19年夏〜)。同時に「ディオール オム」を「ディオール」に改称。初コレクションはパリで発表し、プレ・フォールを東京で発表した。9月、約20年ぶりのウィメンズ向け香水(オードゥ パルファン)「JOY by DIOR ジョイ」を発表。19年7月、パリ・モンテーニュ通りにホームコレクションに特化した「ディオール メゾン(DIOR MAISON)」の世界初ブティックをオープン。
23年2月、デルフィーヌ・アルノー(Delphine Arnault)=ルイ・ヴィトン エグゼクティブ・バイス・プレジデントがクリスチャン ディオール クチュール会長兼CEOに就任。パルファン・クリスチャン・ディオール社長兼CEOにヴェロニク・クルトワ(Veronique Courtois)前ゲラン社長兼CEOを起用。同社初の女性CEOとなる。

■DIOR(ディオール)の主な歴代デザイナー

クリスチャン・ディオール

1905年生まれ。母方の祖母から占星術や運命のしるしなどを教わり、14歳の19年に占い師と出会って以来、度々助言を受けるように。美術学校への進学を両親に反対されパリ政治学院に入学。画廊の目利きとして多くの画家やアーティストらと親交があったことで、23歳でアートギャラリーのオーナーになる。38年、デザイナーのロベール・ピゲ (Robert Pigue)の下で服飾デザインを学び、3年後にはクチュールブランド「リュシアン ルロン(LUCIEN LELONG)」でデザイナーとして働く。41歳の46年、フランスの実業家、マルセル・ブサック(Marcel Boussac)に、モードメゾン「フィリップ エ ガストン」(PHILIPPE ET GASTON)のアーティスティック・ディレクターに誘われるも断り、自身の店を持つことを決意。44年には占い師に、ブティックを作ることを助言され、42歳でクチュリエになる。47年に初のコレクションを発表した。57年に逝去。

ラフ・シモンズ

1968年1月12日ベルギー生まれ。大学で工業デザインを学び、“アントワープシックス(Antwerp Six)”の一人であるウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)の下でインテリアデザイナーとしてキャリアをスタートさせた。95年に自身の名を冠したメンズウエアブランドを設立。2005年に「ジル・サンダー(JIL SANDER)」のクリエイティブ・ディレクターに、12年に「ディオール」に加わる。16年に「カルバン・クライン(CALVIN KLEIN)」のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任。20年4月、「プラダ(PRADA)」の共同クリエイティブ・ディレクターに就く。

マリア・グラツィア・キウリ

1964年ローマ生まれ。ドレスメーカーの娘として育つ。ローマのヨーロッパ・デザイン学院に入学。「フェンディ(FENDI)」のデザインチームで10年間働きアイコンバッグ“バゲッド”のデザインにも大きく貢献。その後「ヴァレンティノ(VALENTINO)」に17年在籍。2007年にアクセサリー部門のトップになり、08年にはブランド全体のクリエイティブ・ディレクターに就任。16年7月に「ディオール」のアーティスティック・ ディレクターに指名され、17年春夏プレタポルテでデビュー。世界中のアーティストや職人の才能や創意工夫といった積極的な取り組みに着目し、コレクションを通じて多彩なコラボレーションを発表している。19-20年秋冬オートクチュール発表時には、マルレーヌ・シアパ(Marlene Schiappa)女男平等・差別対策担当副大臣(当時)からフランス政府におけるレジオンドヌール勲章を受章した。

キム・ジョーンズ

1979年英ロンドン生まれ。ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校でメンズウエアの修士号を取得。卒業制作から注目を集め、2002〜08年「アンブロ(UMBRO)」のデザイナーに。その後も「マルベリー(MULBERRY)」や「アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)」などでキャリアを積み、08〜10年には「ダンヒル(DUNHILL)」のクリエイティブ・ディレクターを務めた。11年、「ルイ・ヴィトン」のメンズ・アーティスティック・ディレクターに就任。退任後の18年3月、「ディオール」のメンズ・アーティスティック・ディレクターに就く。20年9月、「フェンディ」のウィメンズ・アーティスティック・ディレクターに就き、兼任している。

■ DIOR(ディオール)の成長の要となったラインやアイテム

「ディオール メンズ」

2000年、メンズをブランド化し誕生。初代デザイナーにエディ・スリマンが就任。クリス・ヴァン・アッシュによる13-14年秋冬には、パリ以外の都市として北京でショーを行った。キム・ジョーンズの代になり、「ディオール」に改称。メンズ ジュエリー・デザイナーに、YOON「アンブッシュ(AMBUSH)」デザイナーが就任。18年11月、メゾン史上初となるメンズのプレ・コレクションのランウエイショーを東京で開催。

“ニュールック”

1947年2月12日、初のコレクションで披露し、ブランドの代名詞となったスタイル。コレクションでのスタイリングは、丸い裾と胸元に膨らみがあるクリーム色のシャンタンジャケットと、ボリュームのある黒いプリーツスカートの組み合わせ。クリスチャンはラッキーナンバーとする“8”になぞって、“すらりとすっきり、バストはくっきり、ベルトはぴったり、スカートはふんわり”の8拍子で描写したという。カーメル・スノー(Carmel Snow)「ハーパーズ バザー(Harper’s BAZAAR)」編集長が「これはまったく、ニュールックだわ!」と絶賛したことでその名で広がったと言われている。戦時中だった当時、ミシンを使って作られた女性服の革命として大きな反響を得る。“バー”ジャケットは現在も毎シーズン新たなデザインで発表されている。

“トワル ドゥ ジュイ(TOILE DE JOUY)”

18世紀に誕生した、草花や神話などの風景が描かれた牧歌的なもので、1947年にムッシュ・ディオールが室内装飾家のヴィクトール・グランピエール(Victor Grandpierre)に依頼して製作した。以来、歴代デザイナーに引き継がれるブランドの象徴的なパターン。

“レディ ディオール(Lady Dior)”

1995年に誕生したメゾンのアイコンバッグ。ダイアナ妃が愛用していたことで一躍有名に。現代アーティストとのコラボレーションバッグを発表するプロジェクト“ディオール レディ アート(DIOR LADY ART)“や、“レディ ディオール アズ シーン バイ(LADY DIOR AS SEEN BY)“などを通じて再解釈。23年、アイコンバッグが生まれた1995年と、新たなデザインが考案された2022年にちなんで付けられた“レディ 95.22”を発表。

“サドルバッグ”

1999年ガリアーノが考案。乗馬の鞍(サドル)の形に“D”のチャームを合わせたデザインが特徴的。2018-19年秋冬にキウリが復刻し、19年春夏メンズでもジョーンズがアレンジし発表した。

“カナージュ”

1947年発表のデビューコレクションで顧客用の椅子で用いられた柄に着想。今もなおブランドのアイコニックな格子柄で知られる。

“トロント モンテーニュ(30 Montaigne)”

キウリが2019年春夏にスタートしたライン。 トロントはフランス語で30の意味。「ディオール」を象徴するアイコニックなアイテムを集めた小さなワードローブで、“バー”ジャケットやトレンチコート、プリーツスカートなど流行に左右されることなく愛されるウエアやアクセサリーがそろう。

“ミス ディオール(Miss Dior)”

1947年、初コレクションとともに登場したフレグランス。「ドレスを纏った女性の美を完成させるには香りが必要だ」と考えたムッシュ・ディオール自身が、「愛のような香りをつくってほしい」とオーダー。名前の由来となったのは、最愛の妹、カトリーヌ・ディオール(Catherine Dior)。調香、ボトルデザインも歴史の変遷とともに変化している。

“ジャディオール(J’ADIOR)”

キウリによる17年春夏のデビューコレクションで登場したパンプス。象徴的なリボンの刺しゅうは7万5000点以上のステッチが施されており、装飾に3.5時間を費やすという。

“ディオール ブックトート(DIOR BOOKTOTOE)”

読書家でもあるキウリが書店のトートバッグから着想を得て生まれたバッグ。2018年の発表と同時に、アイコニックな存在感を放ち、さまざまなアニメーションで毎シーズン登場する。

■公式サイト

https://www.dior.com

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